出張先での雑記帖



ポーランド
Republic of Poland


気分転換に旅先(モチロン仕事)での画像をお届けします!
(印象に残った画像を都度掲載予定です)






2017年 8月15日(火) Warszawa (ポーランド)

初めてののワルシャワです!
(ワルシャワ歴史地区として、1980年にユネスコの世界遺産に登録)

歴史と誇りを住民の力で取り戻した街〜ワルシャワ(Warsaw)

ワルシャワは長く厳しい歴史の中で、常にレジスタンス活動を続けてきた。
その中で培われた愛国精神は、彼らを一丸となって街の復元へ向かわせ、
表向きは失われてしまった歴史や誇りを取り戻させた。

このワルシャワ歴史地区は、世界中にある世界遺産の中でも極めて例外的な存在です。
第二次世界大戦によって街全体を破壊されてしまいましたが、
街並を「レンガのひび割れ一つに至るまで」忠実に蘇らせた
ワルシャワ市民の「不屈の熱意」が評価されて
世界遺産登録が決まった唯一の史跡群だからです。




<ワルシャワ誕生の伝説>

昔々、川のほとりに「ワルス」と「サワ」の夫婦が暮らしていた。
ある日のこと、その地の領主が狩りの途中で道に迷い、二人に一夜の宿を求めた。
見知らぬ客人を温かく迎えてもてなしたワルスとサワに感謝した領主は、
「この地は今後ずっとワルスとサワの土地 『ワルシャワ』 である」
と語ったのだという。


<ワルシャワの人魚伝説>

昔むかしワルスとサワという漁師の夫婦がヴィスワ川で漁をしていると、
偶然にも人魚が網にかかりました。
夫婦はこの人魚がとても美しかったので自宅に連れて帰りましたが、
人魚がヴィスワ川に帰りたいとあまりにも懇願するので、
夫婦は人魚をヴィスワ川にかえしてあげました。
するとその日から大量に魚が捕れるようになり、
ワルスとサワの捕まえた魚を買い求めにくる人々がごった返し、
町も大盛況。ワルシャワの町が発展したのはこの人魚のお陰というわけなのです。
ちなみにワルシャワと言う名前は、
この夫婦の名前であるワルス(Wars)とサワ(Sawa)
を足したものからきていると言われています。





人魚像(シレナ橋)
ワルシャワ市の紋章となっている人魚は、
ヴィスワ川の漁師夫婦ワルスとサワが、
網にかかった人魚を助け豊かになったという
伝説がモチーフ。
シレナ橋のたもとと、旧市街市場の広場に
人魚像があります。

人魚像(旧市街広場)
ワルシャワ歴史地区(旧市街広場)の
剣と盾を持つ人魚像
剣と盾で武装して
ワルシャワ市民を守り続けています。


ワルシャワ蜂起記念碑
第二次大戦末期の1944年に、
ワルシャワ市民がドイツ軍に対して
一斉蜂起したがドイツ軍の反撃をうけ、
ソ連軍の援軍も得られず孤立したまま
約20万人もの死者を出した



バルバカン

かつて旧市街を取り巻いていた
城壁を敵の襲撃から守っていた砦


ワルシャワ王宮

旧王宮は6世紀に建造が始まり、
時代と共に増改築が繰り返されてきた。
18世紀には、絢爛豪華な内装も施され、
ワルシャワの誇りであり歴史そのもの


聖十字架教会
17世紀の終わりにユゼフ・べロッティの
設計で建てられました。
この教会はショパン一家が
通っていた教会として有名で、
ショパンの心臓が入った壺が安置


ショパン博物館

2010年のショパン生誕200周年に合わせ、
約2年間の改装工事を経て
リニューアルオープンしました。



コペルニクスの像

カトリック司祭であった彼は、
天文学史上最も重要な再発見とされる
地動説を唱え、
当時主流だった天動説を覆した人物です。


文化科学宮殿
1952年起工、4年後の1956年に完成。
高さ234.5m、総床面積12万4000平方メール、
部屋数3288もある37階建ての高層ビルで、
ワルシャワのランドマーク的な存在。

このスターリン様式の建築は、
スターリンによってポーランドに贈与
という形式で建設されました。